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アイテム詳細

井筒 俊彦

岩波書店

グループ:Book

ランキング:509455

価格:¥ 1,260

発売日:2004-04

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カスタマーレビュー

回教徒の理解  (2008-09-30)
 イスラム教というものを、日本人の神道、仏教徒(及び仏教系の新興宗教)の大多数は理解しようとしていない。その突破口として、コーランを読みその内容に触れることは大きな意味があると考えます。
 旧約聖書との類似性、キリスト教徒への近親感と反感、土着宗教との確執迫害、宗教儀式、最後の審判などが記載されているかと思えば、子供の授乳期間や生活習慣の改善方法が記載されている。
 イスラムの神学校の青年達は、この多岐に渡る内容を、神学的にどのように勉強しているのか興味は尽きません。
 
 三宝に帰依して現世の業からの解脱を説く仏教経典との違いを感じて欲しい。
 

これがコーランというものか  (2008-04-21)
イスラム教について全く無知だった私が最初に手に取って読んだのが本書です。
読んだ感想としては、信仰者と不信仰者のそれぞれの末路が、はっきりと書かれていて驚きました。(地獄の劫火と楽園)もしも、コーランに書かれていることが真実であるならば、日本人の大半は地獄行きということになります。そう考えると少し、いや、かなり不安になってきました。読んでいて怖くなりました。復活と最後の審判は来るのでしょうか。本当のことを知りたいと思う今日この頃です。

コーランが放つ力強さに無信仰な私は確実に動揺しています。もしかしたら、明日にはアッラーに礼拝しているかもしれません。イスラム信徒の誕生でしょうか。

異文化理解として  (2007-03-25)
人類は何度唯一神を忘れてきたのか?
人間は忘れやすい生き物なのか?
時が経つにつれて重要なことであるとされてきたものごとが
何もしなければ消滅していくことの一例でしょう。
「1930‐45年戦争」の歴史をきちんと学ぶこと、
そして伝えていくことの重要性を再確認することができました。
何はともあれ、丁寧な注釈のおかげでイスラームの方々の考えを理解することができました。

「アリフ・ラーム・ラー」です。  (2006-11-18)
井筒氏の偉大な仕事は、この『コーラン』およびイスラムに関する著作だけでなく、仏教思想を中心に東洋思想全般に対する広汎な知識に基づいて書かれた力作『意識と本質』なども文庫化されており、それらが安価に手に取ることが出来る幸せを感じないではいられません。
さて、今回レビューを書いたのは、井筒「解説」の『コーラン』10章および12章の冒頭に記されている「謎の頭文字」が現行の他の『コーラン(クルアーン)』とは異なっている点を指摘したかったからです。
10章と12章共に「アリフ・ラーム・ミーム」と記されている部分が、
現行の聖典ではどちらも「アリフ・ラーム・ラー」となっています。
もともと意味が不明の部分ですし、違っていてもさしたる影響はない、とも言えそうですが、はたしてそう言い切ってよいものかどうか…とも思います。
岩波書店の方がどなたかご覧になられましたら、ぜひ一度チェックをお願いいたします。

重要な仕事  (2005-05-10)
 コーランの日本語解釈版はいくつかあるが、井筒版はその中でも完成度において他の追随を許さない。(ムスリム同士の一致した理解のためにある協会版の意義は商業出版のそれとは異なるので、ここでは除外する。)

 しかし、残念なことに、ろくに(古典)アラビア語の知識がないにも関わらず、その勢いある日本語文体を敬遠して「聖典たるもの荘重たるべし」との判断からか、井筒版を避ける専門家や読書人が多い。これは、コーランどころかイスラームを「西欧的あるいは日本的」な意味での宗教に押し込めようとする態度でしかない。結局はアラビア語原文のよさにおいてしか正しくコーランを「体験」できないとすれば、あとはその紹介者がどれほどコーランとイスラームを理解しているか、そしてそれを正しく表現できるかにかかっている。その点で井筒を超える専門家がいたかどうか。専門筋に聞いてみたいものである。そして井筒版に問題があるならば、井筒ほどに釈義書も読み込み日本語力を身につけてから、どうどうとその問題点を指摘し、井筒版ではなくて別の版を取るという姿勢とってほしいものである。井筒とて、最初の出版をその後の研究を経て書き直しているのであり(現出版は「改版・改訳」と位置づけられる)、決して雑な仕事をしていたわけではないのだ。コーランから何かを語ろうとするなら、その位の労力を惜しむべきではない。井筒版を使え、というのではない。井筒版を使わない理由をおざなりに口にするべきではないということである。

 評者は別に井筒の仕事を無謬と言っているのでもない。ただ、もし私が若いころ井筒版でなく、別のコーラン解釈を読んでいたなら、今のようにイスラームに魅了されることはなかっただろうと断言できる。