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新潮社
グループ:Book
ランキング:40032
価格:¥ 1,155
ポイント:11 pt
発売日:2005-09-21
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さらっとエッセイ風。
(2008-07-07)
節の1つ1つが短く読みやすい。エッセイのようだ。東京で仕事し、群馬の山村で生活をする著者。「生活にゆとりがあって結構なことで」とひがみたくなるのは私だけだろうか。何か中途半端な感じもする。しかし、読むに価しないということは無い。「この世界にも、自分自身にも、何かやりきれないものを感じる、でも、世界がどうなれば良いのか分からない」そういった思いに、新しい意見を述べてくれる。
日本の生きる道を模索しなければいけない
(2007-02-11)
在野の哲学者として上野村に住み(釣りを通して住むことになる)、自然と人間のかかわりを本質的に見直さなければいけないのだと主張されていると理解した。資本主義、社会主義などと言う枠組みを超え、経済的な勝ち負けなどという短絡的な評価ではない人間としての生き様はどうあるべきかを自然をどのように捉えるかを考える事により提示している。生きる上で最も重要な因子である労働と言う思想にも言及し、この後の著作である「戦争という仕事」に繋がっていく。2001年9月のアメリカでのテロ事件の根底に流れるアメリカ的思想の危険性をグローバリズムと言う単一思想の価値観の押し付けとして厳しく批判していると思う。
第三章 思想のローカル性 を備忘録として記しておく。
近代社会が形成されてくると、人々は真理は普通的なものだという強い確信をいだくようになった。自然科学が発見した「真理」が世界のどこでも通用するように、あらゆる真理は普遍性をもつている、と。
本当の普遍性には、「場所的普遍性」、あるいは「空間的普遍性」と「時間的普通
性」うべきものがある。「場所的普遍性」とは、どこの場所でも通用するものであり、「時間的普通性」とはいつの時代にも通用する普遍性である。このように分けるなら、近代社会とは、「時間的普遍性」に対する忘却を重ねながら、「場所的普遍性」を重要視することによって生れた社会だといってもよい。たとえば今日のグローバル化していく市場経済とは、アメリカ的な市場経済のあり方が「場所的普遍性」を確立していく過程である。
近代社会におけるこの精神的雰囲気が、思想にも大きな影響を与えた。すぐれた思想は「場所的普遍性」をもつと人々は考えた。
だが、本当にそうなのだろうか。むしろ逆に、思想はローカルなものとしてしか成立しえないのではないか。私たちはもう一度、「思想とは何か」という問いにたち返ってみる必要がある。
まるで詩文のように美しい論説
(2006-12-14)
著者は、グローバル化を進める現代文明は全てにおいて根本的に間違っていると断罪する。それでは私たちはどこに新しい思想を紡ぎはじめるべきなのか。著者はグローバルの対極にあるローカルなもの=「里」という概念から私たちが進むべき方向を説き示す。
人間の歴史・自然の歴史・世俗の歴史・霊的な歴史など、本来は多層的な時間の流れ多層的な歴史を、ひとつの歴史に統合することによって近代社会はつくられた。そしてひとつに統合された歴史は文明の発展を唯一の目的とした。
しかし21世紀の現在、『近代的な市民社会の形成が孤立した不安な個人をつくりだし、人間的な自由の確立がエゴイスティックな個人をつくりだし、自然の自由を奪っていった。近代的正義が、正義の名を借りた戦争を生み出しつづけた。そして現代文明の発展は間違いなく環境を悪化させる。p215』
著者は、ローカルな思想から「折り合いをつけながら生きることが可能なこと=そうするしか方法がないこと」と、「折り合いのつけられないこと=対決するしかないこと」を、私たちが見定めることが重要だと説く。
著者は最後に下記の言葉で締めくくっている。一見悲観的に読めるが全編を読んだ方には、「発展史観の消費する時間」への決別と、「風土との関係性の中に蓄積する時間」への志向が読み取れるはずだ。
『素晴らしき末来を提示し、そこにむかって人々を誘導する方法を、私たちは捨てなければいけないのではなかろうか。その意味で、私は、末来を喪失させようと思う。p216』
日本型コミュニタリアニズムとしての「里」
(2005-11-16)
本書は世界的なグローバリズムに抗する思想的根拠の提示である。
著者によれば、グローバリズムとは地域の伝統や風土を無視し、市場や理性によって世界を均質に設計しようという普遍主義である。それは過去の歴史をもたないがゆえに近代合理主義を至上の価値とする、アメリカ的なリベラル・デモクラシーそのものである。
このような視点からみれば、近年流行している「帝国」に対するマルチチュードやマルクス主義のプロレタリアートなどは、グローバリズムに抗するどころか、逆にそれを加速する同類でしかない。内山は、こうした常識的な反グローバリズム運動を拒否し、グローバリズムに真正面から立ち向かう思想的拠点として、ローカルで多元的な伝統と風土に支えられた「里」を評価する。
本書を読んで私は、内山のいう里の思想に、リベラリズムの普遍主義に対するコミュニタリアニズムの個別主義を想起した。文化的伝統のないアメリカにおいて、サンデルやマッキンタイアのコミュニタリアニズム(共同体主義)は十分に根付かなかったが、逆に近年わが国で佐伯啓思や菊池理夫によって、その日本的な摂取が試みられている。本書『里という思想』は、内山自身がマルクス主義への痛苦な反省を介してたどり着いた地平であるだけに、とりわけ青木孝平の著書『コミュニタリアニズムへ』などと深く共鳴する、ほとんど最後のグローバリズム批判であると感じた。これら日本型コミュニタリアニズム論との併読を推奨したい。

