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海鳥社
グループ:Book
ランキング:115980
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ポスト現象学は、釈尊の四念処観?!
(2007-12-28)
本書の説明を、次の2つの流れに対応づければ理解は容易です。
1)客観(自然物α)⇔(生理的)身体(知覚直観:存在)⇔主観(自然物の像α’)
2)客観(事柄β)⇔幻想的身体(本質直観:意味や価値)⇔主観(事柄の経験β’)
上記の⇔を全て→で置換すれば客観論的・実在論的な考え方、←で置換すれば現象学的「還元」の考え方です。
ところで、釈尊の瞑想法と現象学を比較すると面白いです。釈尊は人間世界を凡夫世界と聖者世界(四沙門果の世界)に分け、凡夫世界から聖者世界へ渡るための瞑想法として四念処観(ヴィパッサナー瞑想)を独創しました。パーリ経典では、「身念処観(身体と呼吸体を瞑想)」→「受念処観(感情を瞑想)」→「心念処観(心を瞑想)」→「法念処観(四聖諦などの法を瞑想)」と進み、「身念処観」が「存在論」、「受念処観」が「価値判断」、「心念処観」が「主体論」に対応します。現象学の課題は、釈尊の“四沙門果(共通了解に至る条件)とヴィパッサナー瞑想(共通了解に至る解決策)”で見通しがついたと考えられます。
現象学が重視する「意味」と「価値」は、「善・悪」や「美・醜」を「内在的な感受性」が判定し、それらの最終的根拠が「真・偽」よりも本質的な『ほんとう』だとします。これらの項目は「受念処観」の瞑想対象であり、「貪・瞋・痴」(三毒煩悩)と深く関係します。「痴」があれば、真・善・美を好むのは「貪(むさぼり)」であり、偽・悪・醜を嫌うのは「瞋(いかり)」です。つまり、凡夫世界では共通了解に向けた努力をしても、好悪(執着の感受性)の多様性が障碍となり、好悪の程度がある範囲になければ共通了解は困難なのです。一方、「痴」が無くなれば「貪」も「瞋」も消えるため、「善・悪」や「美・醜」や「真・偽」の判定から好悪が消え、「執着の無い感受性」(それこそが、究極の『ほんとう』)が確立します。つまり、聖者世界では完全な共通了解に近づくことが容易なのです。
本書の最後で、“『ほんとう』は「信の構造」(確信の構造)で捉えられるべき”とありますが、釈尊が重視する『信』も本来は確信の信であり、信仰の信ではありません。両者の根本は一致しています。
はじめての弁証法
(2007-11-15)
ただでさえ用語の使い方が難しい現象学が、より難しくなります。
難しいものを簡単に読ませようとする努力は
わからなくもありませんが、
そのためにかなり回りくどくなっています。
また、現象学が哲学の歴史で課題となってきたものを、
乗り越えるものであるかのように説明されています。
したがって、これは『はじめての現象学』というよりは、
『はじめての弁証法』と言ったほうがより正確だと思います。
わかりやすいです
(2006-02-27)
前著「現象学入門」の姉妹本である。こちらの方も初学者向けに現象学の視点や歴史を分かりやすく述べられている。しかし、後半には竹田さんの独自のエロス論やほんとう論について考察を行っている。いずれにしても平易な言葉づかいのため肩意地はらずに通読できる名著かもしれない。
なーんだこんなことだったのかと心が軽くなります
(2006-01-09)
解説の言葉に血がかよっていて、著者の体温が伝わってくる。かなり熱い。
高校、大学で、さっぱりわからない哲学の授業を聞かされて、哲学が嫌いになった人、読んでみてください。なーんだこんなことだったのかと心が軽くなります。
しかし、クライマックス。著者の語る「恋愛」にはうなずけなかった。どうしてだろう。
「ほんとうのこと」って何?現象学はこの問いに答える術を教えてくれそうだ
(2005-12-09)
現象学だけではなくて、哲学をすることが好きになる本。現象学は、真実→「ほんとう」のことが何であるのかを問うことの理解を広げてくれそうだ。「ほんとう」のこととは、客観的に存在するある真実をみつけるということではなくて、納得するということの条件を知り、違いを埋める作業を続ける生き方の中で、現れてくるのだ。

