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洋泉社
グループ:Book
ランキング:142013
価格:¥ 798
発売日:2004-10
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カスタマーレビュー ![]()
偏っていない良書。
(2007-04-16)
刑法三九条「心身喪失者の行為は、罰しない」「2 心身耗弱者の行為は、その刑を減刑する」
タイトルから受け取るイメージだと、この刑法三九条削除賛成に傾いた本だと思っていたけれどもそんなことはなく、逆に反対派の方が多いぐらいだった。
執筆者も、法学者・弁護士・精神科医・社会学者等様々で、決して深くはないけれども、刑法三九条に対しての多面的な意見を読むことができる良書。
仲間のために
(2006-07-30)
刑法39条の削除反対論者と賛成論者のぶつかり合い。
反対論者の滝川は、心理学者らしくヒューマニズムの観点からデータを読み解く、が反ヒューマニストには関係ない議論だろう。
賛成論者の佐藤は心理学に根本から疑問を呈している。論理的には優れているが
心理学が浸透し、国民総カウンセラー時代となった今では、精神分析を自然科学とも捉える輩が多い。
小谷野は文学者ながら論理的という形容がつきそうな程で、当然心理学の。思いつき連想ゲームにはついていかない。
結局のところ、ありとあらゆる法に於いても「願望は現実を規定せざるを」得ず
党派性を守るための戦いでしかないということだ。21世紀に於いて学問とは党派を守る為に「しか」存在しないという
ことを理解させてくれた名著。
私の印象では、削除反対派が優勢みたいなんだけど…
(2005-06-06)
こういう書名の本を作るということは、39条を問題視しているからに違いなく、私としては「是か非か」と掲げながらも、削除賛成派が優勢な内容なんだろうなと予想していた。ところが、はっきり削除派なのは佐藤直樹ただ一人。しかも、フーコーなんか援用する割には、フーコー本人が聞いたら臍で茶を沸かすようなお手軽な理論構成で、この人本当に刑法の専門家なの? ってカンジ。
小谷野敦も削除派に与するようだが、論点は法制論というより心情論で、むしろ言論状況への批判。呉智英の議論は及び腰で、落としどころは折衷案。林孝司のは医療現場からの現状批判で、それはそれで傾聴に値するが、39条削除には直結しない。そもそも本書で何度も言及される日垣隆の議論だって、39条の全面削除を求めていない訳でしょ?
他方、削除反対派の議論はかなり充実。橋爪大三郎は例のごとく木で鼻を括ったような原理論的な立論で、これはこれで私なりに反感も感じるが、筋の通り方については文句ない。より現場に近い人々の議論も、私には説得力があったし、なにより編者片割れの佐藤幹夫はハッキリ削除反対の論陣を張っている。
確かに責任能力論は、近代法の依拠するフィクションの要に位置する。近年の遺伝論争の展開や本質主義の復権傾向から考えても、近代法の体系が再考を迫られていることは、私もその通りだと思う。しかし呉も言うように、来るべき法体系の姿は、まだ見えていないのではないか。
私も、現状に問題無しとは思わない。やはり被害者遺族の感情により配慮した法の運用を希望する。しかし、少なくとも39条削除派がこの程度の論陣しか張れない段階では、削除後の世界が今より良くなるとは思えない。
深くは無いがバランスのいい本。
(2005-04-19)
触法心神喪失者の問題について様々な視点から議論がされており、深くは無いですが問題の認識には訳に立ちます。また、論者のバランスもよくできており、読み終わると思考停止になるぐらいどれを正しいと言っていいのか分からなくなります。(実際に議論がまともな形では進んでいかないのも、どういう意見もそれなりに共鳴するところがあるからでしょう。)
月刊誌の特集よりは詳しく、でも昔の新書よりは多義的に。これが新書の新しい形なのかも知れません。
それぞれの立場
(2005-03-26)
それぞれの論者の背景をたどることで面白く読める。
法学の佐藤直樹は、論拠としてはかっての反精神医学と同じ急進的な近代主義的立場にたって、精神障害者の責任を問うことが、近代的理性的人間の狭い範疇へと彼らを排除せず統合するという立場である。佐藤のほかの書物を読むとわかるが、レインらの反精神医学の思想的影響はあるが臨床の実態には詳しくないようだ。
これは少年に自己決定教育の上、責任を問うべきという社会学者の宮台らと同様、形式的な近代の徹底が、しょせん犯罪と刑罰に現れる近代的疎外と矛盾の徹底へと転落してゆくというリベラリズム的誤謬に落ちいっており、敵対するはずのネオリベ勢力の新派刑法思想と一致する羽目になっている。
もっとも妥当な論は、人間学的精神医学の滝川一広であって、了解概念の拡大の立場によることにより、免責論は近代の人間概念をむしろ相対化しうる視点を持つことにつながっている。その視線を持つことこそが社会の懐の深さを広げ、ネオリベ的衝動による刑罰論によく対抗しうる立場を形成している。

