相互リンクしていただけるサイト様を受付中

相互リンクもっと

長年の信頼と運営実績。探したいサイトが見つかるサーチエンジン

アイテム詳細


遊行社

グループ:Book

ランキング:69297

価格:¥ 490

発売日:2008-02-10

通常24時間以内に発送

このページのURLは
http://linkmotto.com/a/asin/Books/4902443074/

この商品を買った人はこんな商品も買っています。

マンガ蟹工船―30分で読める…大学生のための

ロスジェネ 創刊号

蟹工船 [DVD]

小林多喜二 時代への挑戦

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

カスタマーレビュー

多様な手法の感想エッセイ集  (2008-08-21)
収録されている作品群は多様な手法で書かれている。
エッセイ風だけでなく、論文形式、シナリオ形式、小説形式もあり、個性的だ。
多くの主要新聞、週刊誌、文芸誌が、なぜ若者に蟹工船がブームになっているのか、そのきっかけは何かがいろんな論者に語られた。
たまに何故よりによっていま、蟹工船なのか、何かのプロパガンダだ等などいう論者もいる。
さまざまな疑問があるだろうが、たいていの答えは、今のところこの1冊を読むだけで充分に得られる。

●果たして、俗にいわれるように、左翼のプロパガンダにすぎないのか。
その答えは、「多喜二が語らなかったもの、そして蟹工船が語らなかったもの」という論文で、ブーム以前にすでに論破されている。私自身、蟹工船での闘争は政治うんぬんのレベルではなく、生存や人権のレベルで考えなければならないと思っているので、難解な言い回しも目立ちスムーズには読めなかったものの共感できた。

●蟹工船は、文学的技巧が足りないのか。あえて、なぜあのような手法で書いたのか。
それは、「多喜二と父チャップリン」でも語られていて納得のいくものである。

●ネットカフェ部門の作品「ネットカフェの住人」は、入選者の中で最も厳しい雇用におかれている。
それでも、希望を失わない。彼のそんな希望とは、人間として普通の生活をすることであると綴られている。
詩的な表現で読みやすく、文体としては一番目をひく。
こうした当事者の生の声をおさめることで、この本の価値は底上げされるものとなっている。

●「現代人こそ、蟹工船を読め」をはじめて読んだときは、なぜ命令されなければならないのだろうときつく感じた。
しかし大ブームとなった今となると、一番力のこもった感想だ。
「格差が遺伝する」とい言葉もあるが、この悪循環を蟹工船的悪循環に凝縮して格差遺伝の法則をついた、きわめて秀逸なエッセイだ。

●中高生のエッセイ「僕と蟹工船」「至誠日々新」も、すがすがしい。年若い頃に、優れた文学に接する価値を再確認できた。
「〜とても大きな深みの様なものに囚われてしまったからかもしれません。」
など、文章もプロ並だ。地獄のような労働のショッキングさを中心にマスコミで扱われることがあるが、
「この作品は悲惨な出来事をただ並べただけではない」
など、かなり深い洞察をしている。

●ネットカフェ部門の「私の兄弟たちが、ここにいる」は、タイトルだけでも、過酷な派遣労働をしている者と蟹工船の労働者の距離が近いのが伝わる。
劣悪な雇用の中で、蟹工船での闘争のように仲間とともに闘う大切さを学んだことが綴られていて、唯一、「連帯」の大切さを喚起できるエッセイだ。

●「蟹工船から考えた介護体制」は、意外な切り口だった。
介護という面から、蟹工船と現代を比較し、表面的にしか機能していない制度を経験も踏まえながらリアルに告発している。
蟹工船は、過酷な労働問題についてだけ考えさせられるものではない。
多様な境遇の者たちの胸に訴える作品だった。
NHKでも蟹工船が取り上げられていたが、彼のインタビューには、どれだけ多くの人が感動し励まされたことか。
他者への優しさを実践していくという生き方を今後もされていくのだろう。
蟹工船について新聞で取り上げる時、労働面だけでなく、介護という側面からも多くの報道をする必要性を感じる。
他にも、もっと多くの発見が蟹工船には秘められているに違いない。
介護について関心を高めるきっかけともなった。

●「忘れられない多喜二の精神」も、純文学的な表現の書き出しから始まって圧倒されながら読んだ。これで奨励賞だというのだから、このコンテストのレベルは高い。
審査員の一人は、「蟹工船の労働者はかわいそう」という感想がくるのではと予想してたので、恥を知ったという。特に、このコメントから感じたのではないだろうか。
「ああ、こんな大変な時代があったんだなあと私たちが感嘆してこの本を閉じてしまうなら、多喜二の死は報われない。私たちはたちどまり、現代の日本社会を俯瞰してみる必要がある」という一文から。
過労死が問題となっている日本の悲しい現状からも問題を浮き彫りにし、文学的に優れている面もおさえ、広い範囲で蟹工船の魅力を語り、現代こそ読むべき文学であることを語っている。

●「2008年の蟹工船」は、現代に絶望する友人たちへの共感と、自分自身の絶望と孤独を希望をぎりぎりまで許さない極限レベルで綴っている。私が最近読んだフリーターズフリーで「生きづらさとプレカリアート」を書かれた雨宮処凛や他の著者のエッセイと類似表現がいくつも目立つのが気になった。「私たちはもう立ち上がれない」「怒りを剥奪されている!」「敵がどこにいるのか、誰に憤りを感じればいいのか」等。一つか二つなら思いの共有ですむが、一歩間違えれば盗用表現とみなされる。わかる人はわかるので、気をつけたほうがいいだろう。

★私は何冊か買い、いろんな人に配ったが、反応はすごい。
「こんなにも人を感動させる力がある本があったなんて知らなかった!親戚中に配るから、私もまとめて買って、親戚中にプレゼントし、紹介しまくる」
「これは、力がもらえる。だから、厳しい生活をしている友人たちに配る」
とまでいうひともいる。
この本がきっかけで、蟹工船を読んでみようという人までいる。
小説「蟹工船」のもつ力の計り知れなさは、こんなにもあったのかと、そんな反応を見て驚くばかりだ。

もう一度!蟹工船読んでみようかな  (2008-06-17)
まずは、14歳、16歳の年齢で蟹工船を読んで、こんなにもしっかりした考えを文章にしているのに感銘を受けた。昨今は蟹工船ブームになり、ここまで読みこなす前に、「面白くない」「共産主義のプロパガンダ」など、偏見から入って理解できない者も少なくない中、小説「蟹工船」が売れれば売れるほど、これら純粋に読んだ感想文はみずみずしさを増す。

中には、「私の兄弟たちが、ここにいる」と、地獄のような奴隷船「蟹工船」で働く人たちを身近な存在にとらえている派遣社員の書き手がいるゆえに、現代の派遣社員への働かせ方が悲惨すぎるのを察することができ、波紋を呼ぶ。

福岡という多喜二ゆかりの地から程遠い場所に住まう女性は、「蟹工船」を読み終えて、私たちはもっと「声」をあげなければならないと思った、と語る。「あなたたちは」でも、「私は」でもなく、「私たちは」という表現に目がとまる。「声」をあげていくのは、立ち上がる余力のあるきまりきった個人ではないと考えさせられた。
一方で、小樽に住む女性も舞台が「蟹工船」から「オフィス」に変わり、今もなお労働によって「殺されている」人々がいる、と語る。「私たち」にとって「蟹工船」は現実ものであって、決して他人事ではない。

「蟹工船」を読め。それは現代だ。で、しめくくる、感想も強烈すぎる。小さな「蟹工船」からやっと脱出したとしても、まだ「蟹工船」の中にいる。「蟹工船」上で生まれた子供は親と同じ立場という、どこをどういっても現代人は「蟹工船」からは逃れられないという指摘に追い詰められ、まだ「蟹工船」を読んでない者は諦めて、読むしかないと思わされるのでは。

私は、原作を読んでから、本書に手を出したが、ほとんどの立場の人が共感し、内にではなくて外に向かっていくエネルギーが発生し、その熱を味わえた。
そして、もう一度! 「蟹工船」を読んでみようかなと、思わされる。

<追伸>
この17つのエッセイを書かれた入賞者たちは、どんな立場の人なのか気になる。
エッセイの中で自分で紹介されてる方もいるものの。
後に取り上げられたメディアでのインタビューなどからもある程度わかってきたが、中高生であったり、社会的にしわ寄せをうけやすい女性労働者たちであったり、ネットカフェ難民にまで追い込まれた若者であったり、中学生の時に蟹工船を読み、「人の命を救いたい、多くの人が幸せになる手助けをしたい」と励まされて、経済学部に進んだものの、正社員になれないのではないだろうかと不安を抱えながら就職活動している大学生だとわかってきた。
ごくごく普通の若者たちだった。
本書を読み返し、受賞者の作品だけでなく、審査員のコメントも興味深く、評というだけでなくひとつのエッセイとしても考えさせられるものもあった。「弱者」について言及した米国・シカゴ大学教授の次のコメントを一部だけ抜粋する。

−そもそも「弱者」からは、「弱者」と称される人しか見えてこないのが気になる。(略)離れ離れになった個々人はお互いを求めあうしかないはずだ。この状況を直視する山口さんや狗又さんの文章からは現実に向き合うとき必ず発揮される力強さが感じられる。そこでもう一つ、なぜ弱者ということばが嫌いなのか気付かされのである。実は、「弱者」と呼ばれる人は決してよわものではないのだ。